商売繁盛で笹もってこい!

全国的には「酉の市」が有名ですが、関西の新春の恒例行事といえば「えべっさん」。毎年1月9日から11日の3日間執り行われる「十日戎(とおかえびす)」です。「商売繁盛で(じゃ)笹もってこい!」という歌うような掛け声の中、大勢の人がえびす神社にお参りして商売繁盛を祈願し、福笹や熊手などの縁起物を買って帰ります。
「えべっさん」とは、七福神の一神である「恵比寿様」のことですが、関西の人々は親しみを込めてこう呼びます。日本三大えびす神社と称される大阪市の今宮戎神社、京都市の京都ゑびす神社、兵庫県の西宮神社が特に有名です。
十日戎の3日間だけで100万人もの参拝者が訪れる今宮戎神社では、納められた賽銭を数える「賽物勘定始奉告祭(さいもつかんじょうはじめほうこくさい)」という神事も恒例になっていて、テレビのニュースなどでよく取り上げられます。お賽銭の金額まで話題になるのが、いかにも大阪という感じです。ちなみに、例年4500万円前後が集まっています。
昭和の子どもたちは、そろばんが得意
大阪といえば、あきんどの町。「天下の台所」と称された江戸時代などは物流・商業・金融と、経済の中心を大阪商人が担っていました。そんな彼らの商売道具が“そろばん”です。外回りの際には懐に入れたり腰にぶら下げたりして持ち歩くこともあったといいます。
子どもたちも寺子屋で「読み・書き・そろばん」を習いました。時代が進むにつれて一般家庭でもそろばんが使われるようになり、昭和に入ると、13年には全国の小学校でそろばん学習が必修となり、40年代にはそろばん塾が最盛期を迎えます。その頃は小学生の習い事といえば決まってそろばんで、10級からスタートし、検定試験を受けて段位を目指しました。
しかし、電卓なるものが世に登場すると、子どもも親もこう思います。「そろばん、いる?」と。
電卓の普及ととともに衰退したそろばん塾ですが、昨今は“脳トレ”効果が注目され、昔とはまた違った形で人気があります。
50社がしのぎを削った電卓戦争
さて、前置きが長くなりましたが本題です。
電卓の正式名称は「電子(式)卓上計算機」といいます。動力源は主に電池、ソーラーパネル、電池とソーラーの併用という3種類があります。電力で作動しますが、電子回路で計算するため、この名称が付きました。
現在の電卓は卓上どころか手のひらに乗るサイズで、価格もお手頃。100円均一ショップで買うことができます。しかし、そこに至るまでにはメーカー各社の激しい攻防がありました。それは“電卓戦争”と呼ばれています。
日本初の電卓は、早川電機(現・シャープ)が1964(昭和39)年に発売した「CS-10A」という製品です。電卓といっても小型のキャッシュレジスターくらいの大きさで、価格はなんと53万5000円。当時の1300ccの乗用車、日産ブルーバードとほぼ同額だったそうです。
世界初の電卓は1962(昭和37)年ごろにイギリスのBell Punch社が開発した「Anita」 とされていますが、「CS-10A」は世界で最初に販売されたオールトランジスタ型の電卓であり、画期的かつ実用的な新製品だったようです。これにソニーやキヤノンや大井電気といったメーカーが追随し、ピーク時には50社前後が参入して、小型軽量化・低価格化を競う電卓戦争が70年代まで続きました。
“戦争”を終結させたのはカシオです。そろばんのように手軽に電卓を使ってほしいと考えたカシオは、1972(昭和47)年に「カシオミニ」を発売。これは当時の一般的な電卓の約4分の1という手のひらサイズで、価格も相場の約3分の1という1万2800円。「答え一発」というキャッチコピーで売り出し、爆発的なヒット商品になりました。これは業界に衝撃を与えたどころか、多くのメーカーが市場を撤退するほどのエポックメーキングとなったようです。
こうした電卓における技術革新が、後の半導体技術やエレクトロニクス技術の発展に大きく貢献することになります。電卓の開発者たちにしてみれば、そのことも計算済みだったのでしょうか。








