建販電線分野 8社・8ブランドが4社・4ブランドに統合再編

新局面へ 電線総量5割が建設電販 需要構造の変化に対応


昭和電線HDと古河電工による建販電線主力5品種を軸にした販売統合・新会社「SFCC」が4月1日から営業を開始した。これによって総電線出荷量のうち、5割弱を占める建販電線分野のブランド数は、新年度より5ブランドから4ブランドに統合再編。建販分野は新たな展開を迎えた。SFCCに、工事用汎用線事業を譲渡した古河エレコムサイドでは「当社も電材フィールドを中心に、SWCC・FURUKAWAブランドを広める役割を担っている。ともに発展できるよう協力したい」とエールを送る。


SFCCが新年度から営業を開始したことで、建設電販分野は従来の5社(矢崎エナジーシステム、住電日立ケーブル、フジクラ・ダイヤケーブル、古河電工、昭和電線)・5ブランドから、4社(SFCC、矢崎エナジーシステム、住電日立ケーブル、フジクラ・ダイヤケーブル)・4ブランド体制になった。

SFCCは今後、ビジネスの環境変化で需要構造が変わっても、それに応じた態勢がとれるようにした。市販と電設部門で、代理店に強い昭和電線ケーブルシステム(CS)社と、直販に強い古河エレコム、SDSを生かしたハイブリッド営業を遂行する。

18年度電線出荷銅量総計(電工会調べ)のうち、建販電線部門のウェイトは約48%。19年度の建販電線部門は、五輪や再開発などで、割合がやや高くなる見込み。大手の4社・4ブランドは、この大半を占める。従って両社の事業提携は、大きな意味を持つ。

また、SFCCは、奇しきえにしで結ばれ、誕生したともいえる。つまり昭和電線ホールディングスの前身である昭和電線電纜・初代社長の山口喜三郎氏が、古河グループの出身だったためだ。山口氏は、大正10年古河鉱業(株)の専務取締役を経て、同年に東京電気(株)の副社長に就任した後、昭和2年に昭和電線電纜の社長に就いた。

 8ブランド体制へ 8社グループにて

一方、建設電販分野は、4社・4ブランド体制になるまで、次の経過を辿ってきた。

1989年、90年のバブル当時、電線業界も好況だった。90年度の電線ケーブル出荷銅量は121万1千㌧でピークに達した。しかし、バブル崩壊以降は、銅電線出荷も下降局面に入った。対照的に光ファイバ・ケーブルは、NTTがFTTH構想を発表するなど、徐々に動き始めた。

その5年ほど前から「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」により構造改善が掲げられる。電線業界では需要の伸び悩みで83年下期以降、合成樹脂絶縁の配電線用電線・ケーブルに対して産構法の指定対象業種の適用を要請。84年に指定を受け、85年1月には通産省は「電線・ケーブル製造業の構造改善基本計画」を告知した。

このため合成樹脂絶縁電力電線・ケーブル製造グループとして古河グループ(7社)、大日(現・三菱電線)グループ(10社)、住友グループ(7社)、昭和グループ(7社)、藤倉(現フジクラ)グループ(10社)、日立グループ(5社)、タツタグループ(2社)、矢崎グループ(2社)の8社グループ・8ブランドが誕生した。

「共販会社」の6社が、出揃う

事業提携やブランド統合については、共同投資会社方式によるグループが多く、84年8月に住友電工を中心とした5社による共同投資会社「住電ケーブル」が発足したのを皮切りに、9月に古河電線販売、86年4月にフジクラ販売、ダイヤケーブル、昭和電線販売が設立された。これで6社の共販会社が出揃った。

その後、古河エレコムは13年に新満電を吸収合併した。また、住友電工と日立電線、タツタ電線によって住電日立ケーブル(HS&T)が設立し、03年から業務を開始した。14年には住友電工が増資して56%株式を取得し、HS&Tのマジョリティを持った。

また、フジクラ・ダイヤケーブルは05年に、フジクラと三菱電線によって発足。フジクラがマジョリティを得た。フジクラ・ダイヤケーブルは16年に製造部門を持ち、同時にその年にシンシロケーブルを傘下に入れた。

一方、矢崎エナジーシステムと昭和電線、古河電工・古河エレコムの3社は、これまで独自に事業展開してきた。ただ、3社とも、何らかのかたちで自社グループ内の再編を実施している。そうした中で、昭和電線と古河電工はアライアンスを組んだ。

電線新聞 4197号掲載