電気の豆知識 ~いつか役立つ!?電気にまつわる雑学篇~ 「ラヂオ」

お茶の間の主役がラジオだった時代

畳に座って、ちゃぶ台を囲み、夕食は家族そろっていただきます。白米のごはん、豆腐のみそ汁、焼き魚と煮物。一汁二菜です。カレーライスやハンバーグは特別な日のごちそうでした。雑音混じりのラジオからは、春日八郎の『お富さん』が流れていました――。

昭和30年代、世は高度経済成長期を迎え、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれましたが、テレビはまだまだ高級品です。お茶の間の主役はラジオでした。とはいえラジオも安くはありません。一家に一台、ごはん時などに家族みんなで放送を聴いていました。演歌や童謡、歌謡曲、落語や漫才、クイズ番組、ラジオドラマ、プロ野球や大相撲の実況、ニュース、天気予報などなど。テレビと変わらないようなバラエティー豊かなコンテンツは人々の大きな娯楽になっていました。

日本初のラジオ放送は1世紀前

 「ああ、あー、聴こえますか」が、日本で初めてのラジオ放送の第一声だそうです。「聴こえますかといわれても……」という感じですが、これは、人々が持っていた鉱石ラジオの針を感度の良い位置に調整してもらうための呼び掛けでもあったのだとか。

 「ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」とアナウンサーの声で、1925(大正14)年3月22日、東京芝浦の仮放送所から発せられました。次いで6月1日に大阪放送局(JOBK)が、7月15日に名古屋放送局(JOCK)が放送を開始。2025(令和7)年にラジオ放送100周年を迎えています。

ちなみに、この三つの放送局を統合して設立された社団法人日本放送協会がNHKの前身です。

鉱石ラジオとは、鉱物の結晶を部品に用いた受信機であり、電気も電池も不要という、ある意味、画期的なラジオでした。アンテナで受けた電波を電気エネルギーに変換して音声信号を取り出すという仕組みで、スピーカーがないためヘッドホンで聴きます。

こう書くと難しそうですが、驚くほど単純な構造で安価。家電製品というよりも理科工作に近いような代物でした。実際、当時はラジオ放送の開始前から“無線ブーム”が起こり、多くの人が鉱石ラジオを自作したそうです。

温かみが感じられるハイテク機器

ラジオの放送および受信機の歴史は、人々の生活はもとより国の政策とも絡んで、非常に奥が深いものです。が、ここでは、冒頭の昭和30年代初期、“ラジオの黄金時代”に触れてみたいと思います。

その頃、庶民の家のお茶の間で存在感を放っていたのは真空管ラジオです。

真空管とは、ガラス容器などの中を真空にして、電極を封入した電子管のこと。アンテナで受け取った電気信号をこの真空管で増幅し、スピーカーから音として出すのが真空管ラジオです。小難しい仕組みはさておき。

皆さんも映画などで見たことがあるのではないでしょうか。当時のラジオは、ポケットに収まる現代のラジオとは異なり、ひと昔前のラジカセくらいの大きさで、見た目は家具調。重厚なイメージの木製で、前面のスピーカーは布張りというのが主流だったようです。茶だんすなどの上に置いて、家族全員で放送を聴いていました。

電源はもちろん家庭用コンセントです。音量ツマミを回すと「カチッ」と電源が入り、真空管が温まるまで数十秒間待って、「ブーン」とか「サーッ」という音が出たら、今度は選局ダイヤルを回して放送局を選びます。雑音が最も少なくなる位置を探す微調整が必要でした。

現代から見れば不便なようですが、当時はもちろんハイテクノロジー。三種の神器はまだ高嶺の花で、ラジオは最も身近な最先端の電子機器でした。でも、なんだか、ほのぼのとした温かみがあったような気がします。