電気の豆知識 ~いつか役立つ!? 電気にまつわる雑学篇~ 「暖房よもやま話」

原人は寒くなかったのか?

“昭和のおじさん”はもう古いなんていわれる昨今ですが、最も古い人類は今からおよそ700万年前、アフリカに現れた猿人とされています。名前はサヘラントロプス・チャデンシス。昭和のおじさんが学校で習ったアウストラロピテクスは新しい人だったのです。そして200万年ほど前には進化した原人が現れ、やがて火を使うようになります。火は調理に、武器に、照明に、暖房に用いられました。50万年前に北京原人が暮らしていたという洞窟からは焚き火の跡が、また、南アフリカの洞窟では100万年前に火が使われていた痕跡が発見されているそうです。

ともあれ、現生人類の起源がアフリカだというのは、素人考えですが、やはり気温や自然環境が大きく関係しているのでしょうね。だって素っ裸なわけですし、いくら毛深かろうが動物の毛皮を着ようが、北極や南極だと寒くてたまらないと思うのです。詳しいことは知らんけど。

しかし逆にいえば、暑いアフリカで誕生した人類がいつしか寒い土地へも移り住むようになり、暖房や衣服の歴史が始まったという側面もあるようです。

明治の頃までは暖房といえば炭火

さて、タイムスリップして近代日本へやってきました。

わが国に初めて火力発電所がつくられて、一般家庭に電気が供給されるようになったのは1887(明治20)年のこと。しかし、まだ電気ストーブなどありませんし、ガスストーブが輸入されるのももう少し後。エアコンに至っては、暖房もできるタイプが発売されたのが1960(昭和35)年頃で、いってみればごく最近です。江戸時代などは電気もガスもなく、人々の暖房といえば囲炉裏(いろり)、火鉢、炬燵(こたつ)でした。

家の床に四角い炉を設け、敷き詰めた灰の上で薪や炭を燃やす囲炉裏。今でも伝統的な日本家屋などで使われていますが、歴史は極めて古く、縄文時代の竪穴住居にその原型が見られるといいます。囲炉裏は暖房であると同時に食材を煮炊きするキッチンであり、家族で車座になって食事を楽しむダイニングでもあり、さらには照明の役割も果たします。考えてみれば、原人の洞穴の焚き火と同じなのかもしれません。

囲炉裏に着物をかぶせたら

さてさて、日本の冬といえばコタツでしょう。現代はライフスタイルが多様化してコタツのない家も増えていますが、その優しい暖かさに文字通り足を踏み入れると、もう抜け出せなくなるほどの心地良さです。

囲炉裏ほどではありませんがコタツの歴史も古く、700年近く前の室町時代にまでさかのぼります。しかもルーツは囲炉裏というか、火力が落ちた囲炉裏の上に脚の付いた台を置き、着物などをかぶせたのがコタツの始まりとされています。

江戸時代になると、床に専用の炉を設け、やぐらを置いて布団をかぶせた掘りゴタツや、熱源を小型の火鉢などにして移動ができる置きゴタツなども登場しました。

電気コタツは高級品?

大正時代の後期になると電気コタツが登場しますが、それは現在のようなコタツではなく、足元に置く熱源です。たとえば、1929(昭和4)年に松下電器製作所(現:パナソニックホールディングス)が発売した「ナショナル電気コタツ」を見ると、まるで大きな食パンのような形の木箱(丸山型と呼ぶそうです)。温度調節や安全装置といった画期的な機能も付いて大ヒット商品になったのだそう。

そして1957(昭和32)年には、今と同じようなテーブル型の「電気やぐらこたつ」が東芝より発売されました。価格は3,000円前後だったようで、当時の大卒の初任給が約13,000円といいますから、かなりの高級品です。それでも世は高度経済成長期、大いに売れたそうです。

ジャンボびっくりQ~!【昭和編】

さて、最後に問題です! 昭和のコタツは、天板を裏返すと緑色の布が張られていました。それは何のためでしょう?

①子どもがコタツで勉強するときのため(目に優しい色で手触りも良い)。

②お母さんが内職をするときのため(すべらないので作業がしやすい)。

③家族でマージャンをするときのため(マージャン卓と同じような色と素材)。

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